【巡業日記その6】白鵬・日馬富士が出雲大社で奉納土俵入り。取り組み復帰した白鵬の相手とは…!

2017/02/22

27日、島根県出雲市の出雲大社で、横綱の日馬富士関と白鵬関が土俵入りを奉納しました。

 

出雲大社で奉納土俵入り

この奉納土俵入りは秋巡業の大相撲出雲場所に合わせたもので、同大社で披露されたのは2013年10月以来、3年振りとなりました。

 

約1000人の参拝客が見守る中行われ、集まったお客さんからは四股を踏む度に大きな掛け声と拍手が沸き起こりました!

 

私は日馬富士の土俵入りが好きなのですが、四股を踏んで体勢を戻すときに日馬富士は腰をとても低く落とすんですね。

 

その体勢からじりじりっと戻ってくる時がとても好きなのです(^O^)笑

 

マニアックポイントですが、是非見てみて欲しいです!

 

出雲大社デイリースポーツ.jpg
(出典:デイリースポーツ)

 

白鵬の土俵入りも久しぶりに見ましたが、やっぱり貫禄ありますね!

 

場所中と違ってこんなに近くで見る機会はないと思うので生で見た方はすごかったでしょうね。

 

実際に見に来ていた方も「美しい土俵入りだった。近くで見る機会がないので感動した。」と感想を述べています。

 

そして土俵入りをした白鵬も「新鮮でよかった。」とコメントしています♪

 

それにしても1000人も人が集まるなんてすごいですね!!

 

さすが人気の2横綱ですね(^^)

 

相撲の始まりは出雲から!?

さて、出雲は相撲の祖とされる野見宿禰(のみのすくね)生誕地と伝えられています。

 

300px-野見宿禰.jpg
(出典:wikipedia)

 

出雲大社の境内には、相撲の始祖とされる野見宿禰(のみのすくね)を祭る神社があり、野見宿禰は大和の国の強者と天皇の前で相撲をとって勝ったと日本書紀に記述されていることから相撲の祖と称えられるようになったのです。

 

もっと詳しくは、出雲大社のHP内にも記載されています。

 

野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)に別称です。
垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりましたが、垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。
その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。
そして当麻蹶速と野見宿禰による御前相撲が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、以降、大和国へ留まって朝廷へ仕えました。このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられ、今日では相撲を始めスポーツを志す人々に篤く信仰されています。
(出典:出雲大社HP)

 

白鵬と日馬富士も土俵入りの前にこの野見宿禰神社を参拝したそうです。

 

相撲の祖先の前で2人は何を感じていたのでしょうか!?(^^)

 

白鵬が取り組みに復帰

出雲大社での奉納土俵入りを終えた後、同市内で秋巡業の出雲場所が開催されました。

 

そこで白鵬が取り組みにも復帰しました!

 

本当は24日の徳島巡業で取り組みに復帰する予定でしたが、前日の稽古で右足首を痛め復帰が延期となっていたのです。

 

結びの一番で白鵬が相撲を取った相手は日馬富士!!
取り組み復帰日刊スポーツ.png
(出典:日刊スポーツ)

 

白鵬が右足や左膝の怪我をしてから関取衆と相撲を取るのはなんと8月の夏巡業以来!!

 

久しぶりの取り組みということもあり、白鵬は「立ち合いでちゃんと当たっていくことを心がけた。多少、長い相撲になりましたが、まずまず。」と話しています。

 

やっとここまできましたね。

 

怪我をしてから約2ヶ月。

 

九州場所を目前にして土俵上(取り組み)にいよいよ白鵬が帰ってきました!

 

力士にとって怪我は命取りとはよく言いますが、本当にそう思います。

 

白鵬には通産1000勝という大記録も目前に迫ってきてはいますが、無理をしてまた怪我をしないようにしてもらいたいですね。

 

それでは。

 


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