~追手風部屋~
2019/05/23
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追手風親方
追手風部屋の師匠は元大翔山で、昭和41年7月生まれの石川県出身です。
大翔山は日本大学に在籍した時に全日本学生相撲選手権を優勝するなどの実力を持っていた為、幕下付出としてデビューしました。
初土俵を踏んだのが平成元年初場所で、師匠が元関脇安念山の立浪部屋に所属していました。
(出典:追手風部屋HP)
幕下までは本名の山崎で相撲を取っていましたが、関取に昇進した平成2年夏場所からこの大翔山の四股名に変わりました。
左四つになってからの右下手投げを強みとしていましたが、体重が190kg近くある大型力士だったことや投げを打つ際の腰の負担が大きかったことから、最高位は前頭2枚目に止まり現役生活は7年弱と短かい現役時代でした。
しかし、その中でも現八角部屋師匠の第61代横綱北勝海と現芝田山部屋師匠の第62代横綱大乃国から合計3個の金星を挙げたり、敢闘賞を1回受賞したりするなどの成績を残しています。
在籍力士
部屋には幕内の遠藤、大栄翔、大翔鵬を始め十両の大奄美、大翔丸、剣翔、翔猿などの関取7人を始め力士は全員で20人所属しており、四股名に師匠の大や翔という字がついている力士が多いのが特徴です。
この他にも十両格行司の式守鬼一郎と床山2人なども在籍しています。
遠藤
(出典:日本相撲協会公式サイト)
遠藤は平成2年10月生まれの石川県出身です。
遠藤の相撲歴は小学校入学前からで長いものの、初めは父親などから強制されていたため相撲に対する好意は少なかったそうです。
しかし小学校高学年のときに巡業で第68代横綱朝青龍関を見て、相撲の豪快さと多彩な技などに対して興味を示したことや地元の相撲大会での敗北で指導者に叱責されたことをきっかけに本格的に相撲に打ち込むようになりました。
(出典:朝青龍Twitter)
日本大学の相撲部時代で4年生の時に全日本相撲選手権と国体相撲の個人戦の両方とも優勝するなどの実績を残した為、現在の相撲界の付出制度として最高の幕下10枚目格からスタートを踏みました。
追手風部屋に入った理由として、師匠の元大翔山と同じ石川県穴水町出身で且つ日本大学卒業だったことが挙げられます。
遠藤と言えば初期のスピード出世と怪我を一切周囲に明かさない昔の力士らしさではないかと思います。
これらの要素と男前の表情が加わって、相撲界では老若男女に人気があります。
実力は直ぐに開花し入門して1年以内に敢闘賞を取り、番付も三役一歩手前まで昇進しました。
当然、大銀杏などの髷を結うことができずザンバラ髪のまま幕内上位で相撲を取っていました。
しかし、2015年春場所で取り組み中に左側の前十字靭帯損傷などの怪我を負って休場し、一時は十両まで番付を落としましたが、このような怪我をしても一切テーピングをしなかったり、怪我をしたこと自体自ら口に出さない姿が印象的でした。
その行動は弱みを周囲に出さないという、力士の相撲道を表していると言えると思います。
周りの期待に押しつぶされることなく自分の相撲を取り続けて欲しいですね。
大栄翔
(出典:日本相撲協会公式サイト)
大栄翔は平成5年11月生まれの埼玉県出身で、小学校1年生の時から相撲を始めました。
高校は相撲名門校の埼玉栄高校相撲部で、3年時にインターハイ団体2位、個人3位、国体でも団体2位などの実績を残し、高校卒業直前に追手風部屋で初土俵を踏みました。
大栄翔の強みは突き押し相撲で、その強みを活かして入門から2年半で関取の座を掴み、翌年新入幕を果たしました。
一時は十両まで番付を落としましたが、2場所を経て幕内復帰へ。
その後は安定して幕内定着しており、今後三役昇進に期待がかかる力士です。
追手風部屋所在地
追手風部屋があるのは埼玉県草加市で、両国国技館から割と離れた位置にあります。
電車では東武鉄道伊勢崎線谷塚駅から徒歩8分の場所にあります。
所在地:〒340-0022 埼玉県草加市瀬崎5丁目32-22
追手風部屋HP
追手風部屋HPは以下となっております。
(出典:追手風部屋HP)
追手風部屋では相撲部屋の見学ツアーが組まれたり、両国で行われる本場所の千秋楽後に千秋楽ちゃんこ会が開かれたりしており、こういった機会にちゃんこ鍋を食べることができます。
しかし、この「東京場所千秋楽ちゃんこ会」への申し込みは2017年9月場所から一般応募の受付は取りやめとなりましたので注意が必要です。
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