~陸奥部屋~

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陸奥親方

現在、陸奥部屋の師匠は井筒部屋に所属していた元大関霧島で昭和34年4月に鹿児島県で誕生しました。

 

少年時代には鉄製の下駄をはいて通学するなどして体幹を鍛えた後、中学卒業後に元関脇鶴ケ嶺が師匠を務める君ヶ濱部屋に入門しました。

 

ちなみに霧島が三段目の番付だった昭和53年初場所前に部屋の名前が井筒部屋に変更されました。

 

(出典:陸奥部屋公式サイト)

 

霧島は入門してからウエイトトレーニングを行ったり高たんぱくな食事を積極的に取ったりして、一般的な真ん丸としているお相撲さんという体型とは正反対ともいえる筋骨隆々な体型を作り上げていきました。

 

左四つの形から寄りと土俵際のうっちゃりや吊りなどを強みとしていました。

 

ちなみに、霧島に対してこの体型から

 

「角界のアラン・ドロン」

 

「和製ヘラクレス」

 

というあだ名で呼ばれていたこともありました。

 

この強みを活かして入門して7年後には関取の座を掴み、昭和59年名古屋場所に25歳で新入幕を果たしこの場所で三賞の1つである敢闘賞を受賞しました。

 

入幕して4年後には幕内上位の番付に定着するほどの実力を有するようになり、この間に三賞を8回取ったり第62代横綱大乃国から2回金星を取ったりする実績を残しました。

 

そして平成2年春場所で初めて13勝を上げて優勝決定戦に進出したり、半年間に三役で34勝の好成績を収めたことから場所後に大関に昇進しました。

 

大関昇進後はほぼ安定して10勝以上の成績を残すようになり、平成3年初場所に14勝をあげて幕内優勝を31歳で果たしました。

 

大関を3年弱務めた後も網打ちや内掛けなどの技能的な相撲を発揮して引退するまでの間幕内の地位に定着することができ、平成8年春場所後に丸21年間の現役生活を終え錣山親方として1年間井筒部屋に残って後進の指導に当たりました。

 

後に勝ノ浦親方に名前を変えた後も同様の活動をしていました。
そして引退して2年弱が経った頃に、陸奥部屋の師匠を務めていた元星岩涛から部屋を譲る形で陸奥部屋を継承しました。

 

さらに2年後には元青ノ里が師匠を務めていた立田川部屋を吸収して現在の形になっています。

 

在籍力士

現在、陸奥部屋には幕下2人、三段目5人、序二段5人の計12人の力士が所属しています。

 

四股名が与えられている力士の例として、「霧場山」や「霧嵐」など師匠の四股名から「霧」の字が与えられるケースが多いのが特徴です。

 

さらに元薩洲洋の立田山親方と元敷島の浦風親方の2人の親方、呼出と床山が1人ずつと若者頭の元福ノ里を含めて少なくとも19人が共同生活をしています。

 

陸奥部屋所在地

陸奥部屋は東京都墨田区に部屋がありJR両国駅西口から降りてすぐの位置で、周辺には師匠が経営しているちゃんこ霧島があります。

 

所在地:〒130-0026 東京都墨田区両国1-18-7

 

 

陸奥部屋HP

陸奥部屋HPは以下のとおりです。

 

陸奥部屋HP

 

また、師匠が経営しているちゃんこ霧島に行けば部屋のちゃんこの味を味わえます。

 

ちゃんこ霧島

 

なお、稽古見学は現在できない可能性が高いので注意が必要です。


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