時津風一門の紹介

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はじめに

 

(出典: 日本マレーシア倶楽部 相撲部屋見学)

 

現在、相撲協会に一門は6つありますが、その中で時津風一門は時津風部屋、荒汐部屋、伊勢ノ海部屋、鏡山部屋、井筒部屋、陸奥部屋、追手風部屋、中川部屋の8つの相撲部屋で構成されています。

 

今回は、これらの所属する8つの部屋について紹介したいと思います。

 

記事内容は2018年4月時点のもの

 

時津風部屋の紹介

まず、一門の名前にもなっている時津風部屋から紹介します。

 

時津風部屋は、元前頭時津海が師匠を務めている部屋です。

 

時津海は右四つからの寄りを強みにして入門して2年半をかけて新入幕を果たし、その後は技能賞4個獲得するなどして7年間ほど幕内の土俵で活躍した力士でした。

 

今から10年半前に先代師匠が問題を起こしたことなどから急遽引退し、部屋を継承して現在に至ります。

 

時津風部屋があるのは東京都墨田区で、回向院の近くに位置し周辺には大通りや隅田川などがあります。

 

両国国技館へは歩いて10分ほどで行くことができます。現在、時津風部屋には豊山と小柳の計2人の関取が所属しています。

 

荒汐部屋の紹介

次に、荒汐部屋は元小結大豊によって作られました。

 

大豊は左四つからの寄りを強みにして入門から7年かけて関取に昇進し、その後は4年半ほど関取として定着し、うち半分ほどは幕内の土俵で活躍した力士でした。

 

現役引退後、15年半は荒汐親方として時津風部屋に残って後進の指導に当たった後、今から16年前に独立して荒汐部屋を興しました。

 

荒汐部屋があるのは東京都中央区で隅田川や浜町公園の近くに位置しており、周辺には明治座や複数の大通りがあります。

 

両国国技館へは最寄り駅の浜町駅から乗り換えを含めて10分強で行くことができます。

 

現在、荒汐部屋には蒼国来が唯一関取として所属しており、この夏場所からは若隆景も関取に加わる見込みです。

 

伊勢ノ海部屋の紹介

続いて、伊勢ノ海部屋は元前頭北勝鬨が師匠を務めている部屋です。

 

北勝鬨は右四つで左上手の体勢からの寄りを強みにして入門して6年弱で関取に昇進し、その後13年半に渡って関取として定着し、うち半分ほどは複数回の幕内上位の番付を経験するなどして平幕力士として活躍した力士でした。

 

現役引退後、11年間は勝ノ浦親方として伊勢ノ海部屋に残って後進の指導に当たった後、今から7年前に部屋を継承して現在に至ります。

 

伊勢ノ海部屋があるのは東京都文京区で、巣鴨界隈と駒込との中間ほどに位置しており周辺には大通りや大学が複数あります。

 

両国国技館へは最寄り駅の千石駅から乗り換えを含めて25分ほどで行くことができます。現在、伊勢ノ海部屋には勢と錦木の計2人の関取が所属しています。

 

鏡山部屋の紹介

次に、鏡山部屋は元関脇多賀竜が師匠を務めている部屋です。

 

多賀竜は右四つからの寄りや出し投げを強みにして入門から8年半で新入幕を果し、その後9年近く幕内の番付に定着し、平幕での優勝や北の湖からの金星獲得などの活躍をした力士でした。

 

現役引退後、5年半ほどを勝ノ浦親方として鏡山部屋に残って後進の指導に当たった後、今から21年半ほど前に部屋を継承して現在に至ります。

 

鏡山部屋があるのは東京都葛飾区で、荒川や新中川の川沿いの近くに位置しており、周辺には隣の江戸川区の役所などがあります。

 

両国国技館へは最寄り駅の新小岩駅から10分弱で行くことができます。

 

現在、鏡山部屋に関取はいませんが、2人の取的が関取を目指して稽古しています。

 

井筒部屋の紹介

続いて、井筒部屋は元関脇逆鉾が師匠を務めている部屋です。

 

逆鉾は双差しからのかぶり寄りや左四つからの外掛けなどを強みにして入門から5年で新入幕を果し、その後9年ほど幕内の番付に定着しました。

 

そこでは2年間ほど関脇など三役に定着したり、技能賞4個を含めて10個近い三賞を獲得したりする活躍をした力士でした。

 

現役引退後、1年半ほどを春日山親方として井筒部屋に残って後進の指導に当たった後、今から24年前に部屋を継承して現在に至ります。

 

井筒部屋があるのは東京都墨田区で、回向院の南側に位置しており、周辺には高速道路や隅田川があります。

 

両国国技館へは徒歩10分ほどで行くことができます。現在、井筒部屋には今年の春場所で4回目の優勝を決めた第71代横綱鶴竜が唯一、関取として所属しています。

 

陸奥部屋の紹介

次に、陸奥部屋は元大関霧島が師匠を務めている部屋です。

 

霧島は左四つからの寄りや出し投げを強みにして入門から9年半ほどで新入幕を果し、引退までの10年近くを幕内上位以上の番付として定着しました。

 

大関を2年半経験したり技能賞を中心に三賞を8個獲得したりする活躍をした力士でした。

 

現役引退後、2年弱を錣山親方や勝ノ浦親方として井筒部屋に残って後進の指導に当たった後、今から20年半ほど前に現役時代の先輩力士が興した陸奥部屋を継承し、その3年後に同じ一門所属の立田川部屋を吸収して現在に至ります。

 

陸奥部屋があるのは東京都墨田区で、両国駅の西側に位置しており周辺にはビジネスホテルや隅田川などがあります。

 

両国国技館へは徒歩5分ほどで行くことができます。現在、陸奥部屋には関取はいませんが15人の取的たちが関取を目指して稽古しています。

 

追手風部屋の紹介

続いて、追手風部屋は元前頭大翔山によって作られました。

 

大翔山は右四つからの寄りや下手投げを強みにして入門から2年弱で新入幕を果し、その後3年半を幕内の番付に定着して幕内上位の土俵で3つの金星を取るなどの活躍をした力士でした。

 

現役引退後、2年弱を中川親方として立浪部屋や友綱部屋で後進の指導に当たった後、今から20年前に独立して追手風部屋を興して現在に至ります。

 

追手風部屋があるのは埼玉県草加市で、東京都内との境に近い所に位置しており周辺には体育館や複数の河川などがあります。

 

両国国技館へは最寄り駅の谷塚駅から乗り換えを含めて45分ほどで行くことができます。

 

現在、追手風部屋には遠藤、大栄翔、大翔丸、大奄美、剣翔、大翔鵬、翔猿の計7人の関取が所属しています。

 

中川部屋の紹介

最後に、中川部屋は元前頭旭里によって作られました。

 

旭里は右四つからの寄りや上手投げを強みにして入門して8年で関取に昇進し、その後8年間を関取として定着し、うち複数回は幕内の土俵を経験するなどして活躍した力士でした。

 

現役引退後、6年半ほど熊ヶ谷親方として大島部屋に残って後進の指導に当たった後、追手風部屋に移って中川親方として実績を積んだのち今から1年前に当時の春日山部屋をそのまま引き取る形で中川部屋を興して現在に至ります。

 

中川部屋があるのは神奈川県川崎市幸区で新幹線とJR線とのほぼ中間に位置しており、周辺には商業施設が複数あります。

 

両国国技館へは最寄り駅の新川崎駅から乗り換えを含めて40分ほどで行くことができます。

 

現在、中川部屋には関取はいませんが、8人の取的たちが関取を目指して稽古しています。

 

まとめ

 

(出典:日本相撲協会公式サイト 相撲の歴史 『「織田信長の上覧相撲」』)

 

これらのように、時津風部屋を筆頭として時津風一門に属する8つの相撲部屋にはそれぞれの特徴と歴史があると言えます。


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