二所ノ関一門の紹介
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はじめに
現在、相撲協会に一門は6つありますが、その中で二所ノ関一門は二所ノ関部屋、佐渡ヶ嶽部屋、尾車部屋、鳴戸部屋、片男波部屋、田子ノ浦部屋、西岩部屋、峰崎部屋、芝田山部屋、高田川部屋の10個の相撲部屋で構成されています。
今回は、これらの所属する10個の部屋について紹介したいと思います。
記事内容は2018年4月時点のもの
二所ノ関部屋の紹介
まず一門の名前にもなっている二所ノ関部屋から紹介します。
二所ノ関部屋は、元大関若嶋津によって作られました。
若嶋津は左四つからの寄りと上手投げを強みにして入門から5年をかけて新入幕を果たし、その後は6年半の間、幕内の番付に定着して技能賞を3個獲得したり、大関に上がってから優勝を2回したりして活躍した力士でした。
現役引退後、2年半ほど松ヶ根親方として時津風部屋に残って後進の指導に当たった後、今から28年前に独立して松ヶ根部屋を興したのち、今から3年半前に名前を二所ノ関部屋に変更して現在に至ります。
二所ノ関部屋があるのは千葉県船橋市で、競馬場や線路沿いに位置しており、周辺には公園や複数の商業施設などがあります。
両国国技館へは最寄り駅の船橋法典駅から乗り換えを含めて35分ほどで行くことができます。現在、二所ノ関部屋には松鳳山が唯一、関取として所属しています。
佐渡ヶ嶽部屋の紹介
次に佐渡ヶ嶽部屋は元関脇琴ノ若が師匠を務めている部屋です。
琴ノは右四つからの寄りや上手投げを強みにして、入門して6年半で関取に昇進し、その後は15年半の間を関取として定着し、2度にわたって1年以上幕内上位の番付に座って複数の三賞や金星を獲得するなどの活躍をした力士でした。
今から12年半前に先代師匠の定年退職に伴って引退し、部屋を継承して現在に至ります。
佐渡ヶ嶽部屋があるのは、千葉県松戸市で市川市と鎌ヶ谷市との境に近い住宅街に位置しており、周辺には複数の学校やコンビニがあります。
両国国技館へは最寄り駅の松飛台駅から乗り換えを含めて45分ほどで行くことができます。現在、佐渡ヶ嶽部屋には琴奨菊、琴勇輝、琴恵光の計3人の関取が所属しています。
尾車部屋の紹介
続いて、尾車部屋は元大関琴風によって作られた部屋です。
琴風は左四つからの寄りを強みにして、入門して5年半で新入幕を果たすと、その後は2年間幕内上位の番付で金星3個を挙げたり三役を複数経験したりする活躍をしました。
一度大怪我で1年近く休場しましたが、復帰後は実力を伸ばして大関に昇進したり優勝を2回果たしたりする実績を残した力士でした。
現役引退後1年余りの間、尾車親方として佐渡ヶ嶽部屋に残って後進の指導に当たったのち、今から31年前に独立して尾車部屋を興して現在に至ります。
尾車部屋があるのは東京都江東区で深川稲荷神社の近くに位置しており、周辺には大通りや清澄庭園があります。
両国国技館へは最寄り駅の清澄白河駅から10分ほどで行くことができます。現在、尾車部屋には嘉風、豪風、天風、矢後の計4人の関取が所属しています。
鳴戸部屋の紹介
次に、鳴戸部屋は元大関琴欧州によって作られた部屋です。
琴欧州は右四つからの寄りや上手投げを強みにして入門して2年弱で新入幕を果たすと、その1年後には複数の三賞を獲得する力を見せて大関に昇進でき、丁度10年前に欧州初の優勝を果たしたりこの地位を丸8年間務めたりする活躍を見せた力士でした。
現役引退後3年余りの間、この四股名を含めて鳴戸親方として佐渡ヶ嶽部屋に残って後進の指導に当たったのち、丁度1年前に独立して鳴戸部屋を興して現在に至ります。
鳴戸部屋があるのは東京都墨田区で東京スカイツリーと錦糸町界隈のほぼ中間に位置しており、周辺には博物館や大通りがあります。
両国国技館へは最寄り駅の押上駅から乗り換えを含んで15分ほどで行くことができます。
現在、鳴戸部屋には関取はいませんが、4人の取的たちが関取を目指して稽古しています。
片男波部屋の紹介
続いて、片男波部屋は元関脇玉春日が師匠を務めている部屋です。
玉春日は突き押し相撲を強みにして入門して2年で新入幕を果たすと、その後7年間は幕内の番付に定着して金星を7個獲得するなどの活躍をした力士でした。
現役引退後1年半ほどの間、楯山親方として片男波部屋に残って後進の指導に当たったのち、今から8年前に部屋を継承して現在に至ります。
片男波部屋があるのは東京都墨田区で、復興記念館や浅草橋の近くに位置しており周辺には大通りやコンビニが複数あります。
両国国技館へは徒歩10分ほどで行くことができます。現在、片男波部屋には玉鷲が唯一、関取として所属しています。
田子ノ浦部屋の紹介
次に、田子ノ浦部屋は元前頭隆の鶴が師匠を務めている部屋です。
隆の鶴は左四つからの寄りを強みにして入門して9年で関取に昇進し、その後5年間を関取として定着し、うち2回は幕内の土俵を連続して経験するなどして活躍した力士でした。
現役引退後5年半の間、この四股名を含めて西岩親方として鳴戸部屋に残って後進の指導に当たったのち、今から6年半前に鳴戸部屋を継承しました。
その2年後に部屋の名前が田子ノ浦部屋になり現在に至ります。
田子ノ浦部屋があるのは、東京都江戸川区で新中川と江戸川のほぼ中間の住宅街に位置しており、周辺には大通りや図書館などがあります。
両国国技館へは最寄り駅の小岩駅から15分弱で行くことができます。
現在、田子ノ浦部屋には久しぶりの日本出身横綱である第72代横綱稀勢の里と高安の計2人の関取が所属しています。
西岩部屋の紹介
続いて西岩部屋は元関脇若の里によって作られた部屋です。
若の里は左右両方の四つに組んでからの寄りやすくい投げなどを強みにして入門して5年半で関取に昇進し、その後18年近くの間関取として定着し、うち5年間安定して幕内上位の土俵を経験したり三賞を10回も獲得したりするなどの活躍を見せた力士でした。
現役引退後1年半ほどの間、西岩親方として鳴戸部屋やその後の田子ノ浦部屋に残って後進の指導に当たったのち、今年の春場所前に独立して西岩部屋を興して現在に至ります。
西岩部屋があるのは東京都台東区で浅草と蔵前とのほぼ中間に位置しており、周辺には複数のホテルや寺院があります。
両国国技館へは最寄り駅の田原町駅から乗り換えを含めて20分ほどで行くことができます。
現在、西岩部屋には関取はいませんが、2人の取的たちが関取を目指して稽古しています。
峰崎部屋の紹介
次に、峰崎部屋は元前頭三杉磯によって作られた部屋です。
三杉磯は左四つからの上手投げと突っ張り相撲を強みにして入門して6年半ほどで新入幕を果たし、その後6年間は幕内の番付に定着して金星を2つ獲得するなどの活躍をした力士でした。
現役引退後2年余りの間、峰崎親方として放駒部屋に残って後進の指導に当たったのち、今から29年前に独立して峰崎部屋を興しその23年後に花籠部屋を吸収して現在に至ります。
峰崎部屋があるのは東京都練馬区で、板橋区との境に近い住宅街に位置しており周辺には公園や駐屯地などがあります。
両国国技館へは最寄り駅の赤塚駅から乗り換えを含めて約30分で行くことができます。現在、峰崎部屋には荒鷲が唯一、関取として所属しています。
芝田山部屋の紹介
続いて、芝田山部屋は第62代横綱大乃国によって作られた部屋です。
大乃国は右四つからの寄りや上手投げを強みにして入門して5年で新入幕を果たし、その後8年半の間幕内上位の番付に定着しました。
2年半ほど間、殊勲賞を中心にした三賞7個や金星4個を獲得するほどの活躍を示してから大関以上の番付に昇進し、全勝を含めて2回の優勝を果たす実績を残した力士でした。
現役引退後8年弱の間、この四股名を含めて芝田山親方として放駒部屋に残って後進の指導に当たったのち今から19年前に独立して芝田山部屋を興し、その14年後にこの放駒部屋を吸収して現在に至ります。
芝田山部屋があるのは東京都杉並区で高井戸駅前の界隈に位置しており、周辺には大通りや病院があります。
両国国技館へはこの高井戸駅から乗り換えを含めて50分ほどで行くことができます。
現在、芝田山部屋には関取はいませんが、8人の取的たちが関取を目指して稽古しています。
高田川部屋の紹介
最後に、高田川部屋は元関脇安芸乃島が師匠を務めている部屋です。
安芸乃島は左四つからの寄りを強みにして入門して6年で新入幕を果たし、その後15年間はほぼ幕内の番付に定着し2度に渡って2年間安定して幕内上位の土俵に上がってその中で金星16個や三賞20個近くを獲得する大記録を収めるなどの活躍をした力士でした。
現役引退後1年間、藤島親方として二子山部屋に残って後進の指導に当たったのち高田川部屋に移って千田川親方として5年余りの間の親方経験を積んだ上、今から9年前に部屋を継承して現在に至ります。
高田川部屋があるのは東京都江東区で尾車部屋の3つ隣で隅田川よりの建物に位置しています。
両国国技館へは最寄り駅の清澄白河駅から10分ほどで行くことができます。
現在、高田川部屋には輝と竜電の2人が関取として所属しており、今年の夏場所からは白鷹山も関取の1人に加わる見込みです。
まとめ
(出典:山田書店『豊国三代「勧進大相撲興行之図」 | 山田書店美術部オンラインストア』)
これらのように、二所ノ関部屋を筆頭として二所ノ関一門に属する10個の相撲部屋にはそれぞれの特徴と歴史があると言えます。
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